別所では 8月の終わりから 軒先で笹を天日干しする
ちまき笹農家さんがいます。その農家さんを訪ねて 笹の干し方を見せて頂きました。
祇園祭の粽をはじめ、全国の和菓子屋に品質と香の良さで名を馳せている別所笹。
はじまりは約100年前、地元のおじ様が美しく乾かして大小束ねた笹を京へ売り歩いて下さったことから銘々に得意先をもち、現在に至っています。
毎年8月から10月末にかけては日が沈むまで山に入っての笹刈りが続きます。村のどこで笹を刈っても良いのです。「女性の小遣い稼ぎ」とはいえ子どもも手伝って、夜なべして笹を束ねて日中干す作業は延々続きます。
ところがここ数年のうちに別所の山から笹の姿が消えてしまったのです。
100年に一度という笹枯れが起きて出た新芽を鹿によって全て食い尽くされる被害に遭います。
▲別所の山。わずかに免れた笹が残っているが、昔は腰の高
さまで笹で一面覆われていた。
その後、市の協力のもと2010年に始まった「チマキザサ再生プロジェクト」笹の里親活動によって、まちの人が育てた笹を防鹿柵を張った別所の山に返す取り組みがされています。
現在、別所の笹農家は地域の笹により近い品種の笹が育つ宮津市世屋地区から入荷し、笹干しの加工のみを行っています。
▲近くの笹を刈って見せてくれたマス子さん。/干した後、50本ずつ束ねてきれいにまとめた笹。
今では4軒となった笹農家のひとり、藤井マス子さんは中学生の頃から手伝っていたと云います。
子どもの頃、山に入ってぶどうやはげあたま、さるまめ、栗を探して遊んでいたこと。冬には炭の俵、はきものの草履を編んでいた。祭りが楽しみで浴衣に身幅前掛けをつくり、隣の村まで踊りに行って恋仲が生まれたり、といった思い出を語ってくださりました。
生きるために必要なものはすべて近くにある。そんな生活があたりまえにありました。
マス子さんは今、近くに住む笹農家の春枝さん、ユキエさんと「あんたとこ灰したか?(栃餅を作るためにする灰汁抜き)」など情報交換にも余念がありません。
里山から木の実や山菜が消え、畑を動物達に荒らされても、女の仕事は変わらない。
里山に生活の糧を見いだせない現代人にちまき笹の伝承が成るか?
今後、10年先と云われる笹の復活も里山の未来に対するの自然からの挑戦のように思えます。